シンエヴァ、自分なりの感想・考察・受け止め方【ネタバレあり】

2021年4月6日

シンエヴァのネタバレ感想記事です。

ネタバレありなので未視聴の方はご注意ください。
 

はじめに

シンエヴァは初日に2回観に行きました。

私はテレビ版エヴァから好きで、ブログには破から感想や考察記事を書いているのですが、さすがに今回は2時間34分というボリュームだったり、最後の作品ということでなかなかどう書こうか手間取っていました。

そんな中、シンエヴァの感想記事をたまたま2つ、体裁問わず、思うがまま書いているものを読みました。
超批判的な記事もありました。
でも、私は感情や人となりを感じない感想や考察よりも、ありったけの思いを書いている方が面白くもパッションを感じて、むしろこちらの方が素晴らしく感じました。

ということで、変に小綺麗にまとめようとせず、もう今の自分の感情で、いつも通りそのままで書くことにしましたw
※定期的に自分なりに気付いたことを追記したりしてます
※なんでこんな記事タイトルかというと、特にエヴァは見てない人にとって「面白かった」「つまらなかった」ということ自体もネタバレになるからですw
 

2回観て感想が変わった

1回目

「うーん…旧劇場版ほど衝撃もあまりなかったし、村のくだりも長すぎない…?」と消化不良でした。
 

2回目。

最高!

2回見て良かった!

1回目は次々と目まぐるしく変わる展開を把握ができるくらいでしたが、2回目で物語の流れや意図を体感、キャラへの感情移入などができて面白かったです。

村のシーンも2回目では全然長く感じませんでした。

今にして思うと、1回目の視聴が消化不良だった理由には、最後の最後なので旧劇場版以上の衝撃的、前衛的なものを仕込んでくると思っていたかもしれませんw
 

ストーリーを追う

冒頭パリのシーン。
以前先行放映した0706作戦
既出ですし、この部分はプロモーションありきで、大きくストーリーに関わらないシーンだと思っていたので、その後の展開を楽しみにしていました。
 

3人が歩くシーン。
この後どうなるかと思ったら、まさかのトウジ、ケンスケ生きてた!
トウジは意外にも医者になってて、ヒカリと結婚、”子供も誕生しておめでとう”。
いやはや、人生どうなるか分からないものですね。

場所も震災復興後のような村のシーン。
それでも人々は生き残って生活していた。

アヤナミレイ(仮称)が純粋無垢な子供のように成長していく様が可愛い。
それに対する村人も優しい。
当ブログでもシンエヴァの予想をしていましたが、一体誰が「綾波レイが田植えするのを予想できるんだよ!w」
(稲作ゲームも流行ってたし、こりゃあコラボで綾波レイが登場だなw)

更にアスカとケンケンの組み合わせ。
アスカはもう裸でも乙女の恥じらいがなくなってしまった。
あと、内面14年経てるので、そりゃシンジがガキに見えて仕方ないでしょうね。
シンジが恋愛対象から外れるのも分かります。
このアスカとケンケンの意外な組み合わせ、後述もしますが、監督のテレビ版エヴァ所信表明文の中で「生きていくことは変わることだ」を実感させられます。
 

シンジはテレビ版24話での海や旧劇場版序盤のように膝を抱えてうなだれます。
何度も様子を見に来るアヤナミとアスカ。
村生活で少しずつ立ち直っていくシンジ。
そう、人はどんなに辛い目にあったとしても、時間と周りの優しさで立ち直っていけるのです。
監督自身や震災のことも表現しているのでしょう。
アスカに「泣いてすっきりした?」とシンジはバカにされたように聞かれますが、素直に「うん」と答えるのは成長を感じましたね。

村も少しずつ復興しています。
農作業などもお天道様の下で汗水垂らして生きるのが人間の原点なんでしょうね。
でもトウジはこれまで生きるためにはお天道様の下で見せられないこともしてきたと言います。
現実でも生きるためには綺麗事ばかり言っていられません。
そういえばテレビ版エヴァで「生きていさえすれば幸せになれるチャンスはあるんでしょう」と碇ユイが言っていました。
ちなみにそんな農村でもテクロノジーを駆使したり、危険区域との共存していくところが、まさに現代社会とシンクロします。

ケンスケの父親が突然死んだという墓参りのシーン。
作中の普通の人物にとって起きるのが、視聴者の立場です。
現実同様にいつ誰がどうなるか分かりません。
家族が生きているうちにちゃんと悔いがないよう、日常的に話をしておきたいもんですね…。

アヤナミはシンジから「綾波レイじゃない」と言われますが、もうこのときのアヤナミの成長っぷりを見ると、破のときのような感情のある綾波レイになっていましたね。
表情も温和、人間らしくなっていきます。
ですが、死期を悟り、「これは涙…?」のシーン。
そしてシンジに名付けてもらう際、「綾波レイ」と認識してもらえます。
微笑みとプラグスーツの色が白に変わる

感動的でした。
そう、やっぱり「アヤナミレイ(仮称)は綾波レイ」だったし、人は成長、変われるのです。

しかし、その直後、またカヲルみたいに目の前で死を見せつけられるシンジ。
感動の対面から、一気に地獄に突き落とされる気分。
翌日、シンジの目が腫れています。
その夜、彼がどんな思いでどれだけ泣いていたかを想像すると…。

そしてヴンダーに乗り込むと言うシンジ。
君は世界を壊した贖罪を受け止め、カヲルと綾波の死を目の前にし、それでも立ち向かっていくのか。
どんだけ強くなったんだよ、シンジさん。

まさかのミサト、子供が既にいました。
息子は良い奴っぽかったですねー。
名前はそのまま同じリョウジなのか。
更に加持がサードインパクトを止めて死亡したことが分かる。
破で「行きなさい!シンジくん!」からのQで「何もしないで」の掌返しの理由が分かります。
ミサトさん、あんたも辛かったんや…。
それだけの責任感とシンジを想っていたことが分かります。
 

舞台は南極で艦隊バトル。
シンエヴァはQのナディアみたいに昔のアニメBGMを使ってくると予想したけど、今回は妙なBGMを持ってきたなー。
後で調べたら、惑星大戦争BGMだって。
そうか、シン・ゴジラがあったからだw
シンゴジではヤシオリ作戦での宇宙大戦争、そこで今回はヤマト作戦での惑星大戦争BGMかー。

 

特撮サービスサービスゥ!
ちなみに後のヤマト作戦ですが、ヤシマ作戦からのヤ〇〇作戦繋がりもあるし、これからミサト達が決戦に臨む心境として宇宙戦艦ヤマトの歌詞を読んでみてくださいw
まあ、「戦艦大和」として屋島やヤシオリなど昔の日本のエピソードから持ってきてるだろうけど、監督は宇宙戦艦ヤマト好きですし、二重の意味がありそう。
(余談ですが、不思議の海のナディアのノーチラス号の主砲効果音は宇宙戦艦ヤマトから借りたらしいです)

私は特撮、ゴジラは昭和シリーズから好きなんですが、海底軍艦(惑星大戦争のシリーズ前作)や轟天号は知ってながらも映画は観たことなかったんです。
なるほどー。
ちなみにその後、ネルフは轟天号みたいな巨大なドリルで攻撃してきましたねw

13号機にエントリープラグみたいなのをぶっ刺すアスカ。
目から使徒封印のやつを出して、完全使徒化します。
めっちゃ痛そうだし、ここまでやっているのに実は13号機のトラップに引っ掛かるアスカ。
いつもアスカは酷い目に遭うという…。
そういえばここでアスカもレイと同じでクローンであることが明示されました。

ゲンドウとご対面。
リツコが間髪入れずに銃で何度も撃ってるのが旧劇場版との対比で面白かった。
過去の教訓かw

成長したシンジがようやくゲンドウと対峙し、ようやくやり取りが始まるかと思ったら逃げるゲンドウ。
おいおい、子供が向き合ってきてるのに親のあんたは逃げるのかw

初号機に乗るというシンジ。
しかしピンク…じゃなくてミドリとサクラが銃を構えて乗らせないようにします。
これは主要人物ではなく、周りの別の立ち位置の人物の感情が分かって良かった描写ですね。

ミサトさんは旧劇場版然り、また撃たれるのか。
このときはミサトはQの険しい表情ではなく、昔のようであり、穏やかで優しく、母のような表情でした。

なんだか色々あって、新規でアディショナルインパクトやらアナザーインパクトやらの難しい単語(New!)が出てくるし、シンジさんは落ち着いてワープしたりしてるしw
あれ、Q予告で言ってたファイナルインパクトの単語はどうなった?w
まあこの辺りはいつものエヴァだし、最後の最後、もはや考えるのではなく感じるんだw

ついにシンジとゲンドウ、親子の対峙。
初号機対13号機。
なるほど、親子似た者同士だから、似た者同士の初号機と13号機の対決なのね。
結局ゲンドウのエゴによっての世界を巻き込んだ親子喧嘩だったわけですw(なんというスターウォーズ)
予告中でも待ち構える13号機の格好が違和感あったけど、やっぱり親だからのふてぶてしさがあったんですね。

イマジネーションでの戦いで、ミニチュアみたいな特撮的な舞台やミサトの家などで戦います。
予告でもあった初号機対13号機の映像、動きがこれまでのエヴァ3DCGの使い方と違ってヌルヌルし過ぎておかしいし、ちょっと安っぽいなと思ってたんですが、そういう仕掛けだったのかと。
この辺から昔のエヴァっぽい描写が始まっていきます。
結局、中学生は力と暴力で父に勝てないんだけど、そのゲンドウもシンジとの対話を望みます。

そう、暴力ではなく、内面での対峙が「エヴァ」ならではでしたね。
ゲンドウも分かりやすく饒舌に喋るのが意外でした。
所信表明(後述)にあるように、新劇場版から見始めた人や、今までなんとなく分かるけど、今回ちゃんとエヴァを終わらせるために明示したのでしょう。

補完計画発動。
まさかの旧劇場版同様、巨大な白い綾波が現れていく。
ゲゲ、またかよ!
顔が可愛くなくて違和感あるけど、それも異形のような存在として狙ってるんだろうなぁと。
旧劇場版サードインパクト同様、補完の始まり。
今回はゲンドウが補完される側でした。

ゲンドウの補完シーン。
家庭環境が良くなく、内向的な暗い性格に育っていきます。
シンジと同じですね。
ピアノが弾ける新設定はシンジがQですぐに弾けることや、S-DATで音楽好きな繋がりなのかな。

大学時代でユイと会います。
それによって彼の人生が変わるわけです。
(ちなみにコミックを読むと、ユイの人柄がテレビ版以上に描かれているので分かりやすいです。)

 

自分自身を好きじゃなかったゲンドウですが、ユイは好意をもって受け入れてくれます。
いわゆるオタクな青年が一人の女性に出会うことで世界が変わるわけです。

しかしその最愛の女性が死んでしまいます。

そのユイともう一度会いたいがため、エヴァンゲリオンの物語が始まるわけでした。

最愛の女性ともう一度会うため、世界はどうだっていい。

あれ、破のラストの「世界はどうだっていい。綾波だけは助ける!」
シンジと同じじゃん。
やっぱり親子なのか。

ミサトがシンジに槍を渡すため一人ヴンダーで特攻。
これはもう「子を守る母は強し」ですね。
ミサトが帽子を取っていつもの髪型でサービスサービスゥ。
そして…加持さんと二人で仲良くしてください。

アスカの補完シーン。
一人だったというアスカだけど、ケンケンに救われましたね。
肉体も脱出して助かります。
ちなみにこのとき映画を観ていたら、席の後ろから女性のすすり泣きが聞こえました。
キャラ、アスカ好きの人なんだろうなぁと思いつつ映画を観ていたら、つい自分ももらい泣きしてしまいました。

カヲルの補完シーン。
テレビ版24話カヲルと会うシーン、旧劇場版DEATHの海辺の背景。
カヲルは何度もループしていたようで、まさかシンちゃんに救われます。
というか、加持も出てきて突然の「渚指令」って。
最後の最後でまた考察させるワード出してきたし、「渚」という文字のくだり。
そういえば旧エヴァからそういうアナグラムみたいな言葉遊びがありましたねw

なんと破の綾波も救われました。
綾波の長髪もまたまた狙っていて、また新しくフィギュアとかで商品展開できそうですね!←ゲス視点

さらにさらに、旧劇場版の終劇の続きが描かれ、惣流・アスカ・ラングレーが出てきます。
「バカシンジ」
シンジから「好きだった」と言われ、デレるアスカ。
これはもう最高の演出でしたね。
旧劇場版のラスト「気持ち悪い」へのフォロー、補完でもありました。

テレビ版・旧劇場などのオマージュもあったり、テレビ版、旧劇場版、コミック版、新劇場版は全て繋がっていることも明示され、まさに全てのエヴァンゲリオン。
感動的でした。

でも監督の所信表明で「エヴァンゲリオンを見たことない人でも楽しめるエンターテイメントを作ります」と言っていたのですが、新劇場版から見始めた人はワケわからないでしょうにw
と思ったのですが、元々の旧エヴァも「よく分からない、何が起きるか分からないのがエヴァの魅力」でした。
なので、新劇場版から見始めた人へもまさに「エヴァを体験、エヴァの洗礼を浴びせている」わけですよねw
(そこで新劇場版から入った人が「シンエヴァなんじゃこりゃ」と言って、旧作から見始めるとしたら…まさに繰り返しの物語)

シンエヴァのシンは何か。
これまで「進」が一番近いかなと思ってたけど、本編で「ネオンジェネシス」と言うシンジ。
あぁ、回りまわって新世紀エヴァンゲリオンだったか。
同時に「これまでのエヴァ」は終わり、これからは誰も見たことの無い”シンエヴァ+1.0″が始まるんだ。

父ゲンドウはS-DATを持って途中下車、舞台を退場します。
シンジは成長し父を乗り越え、ゲンドウはその役目を終えました。
結局ユイと会いたいという一人のエゴで、人類補完計画など世界を巻き込み、とんでもないことをしでかしますが、そのユイは愛の結晶としてのシンジがすぐ側にいたことに気付くわけです。

贖罪としてシンジ自ら初号機に自分で槍を刺そうとするシーン。
しかし母ユイが現われその役割を引き受けます。
やはり「子を守る母は強し」

これら一連キャラクターのシーンは、中途半端にならず、登場人物がそれぞれの役割を全うしたり、救われたりと最期までちゃんと分かりやすく描き切っていて良かった。

海が青くなり、シンジの海辺でのシーン。
テレビ版25、26話のように絵コンテや画面に色が塗られていない白いシーン。
舞台を映しているカメラも写されたりして、劇中、作りものの世界であることを視聴者に示します。
 

最後、エヴァの呪縛がなくなり、世界は再構築、駅のシーン。
大人になったシンジと出会うのはなんとマリ。
え、シンジとマリの組み合わせは意外過ぎ。
でも現実同様、人生先のことは分かりませんし、人は変化するものです。

電車はエヴァでは内面世界を描いてますが、それには乗らず、駅から実写・現実に旅立ってエンドロール。
あぁ、旧劇場版と根本のテーマはやはり同じで「現実を生きるため」のメッセージでもありました。

ただ、今回はちゃんと親子が向き合っていたのが違っていましたね。

大人のシンジ役の声優は実写もされている神木隆之介さんなのは納得。
子供のシンジ役の緒方恵美さん、ありがとう、お疲れ様でした。

終劇。
 

総評・まとめ

最高でした!
しかもちゃんと終わらせてくれました!

シンエヴァをはじめ、新劇場版を面白く感じられるためには監督の所信表明を読んでいると理解が深まります。

「エヴァンゲリオン」という映像作品は、様々な願いで作られています。

自分の正直な気分というものをフィルムに定着させたいという願い。
アニメーション映像が持っているイメージの具現化、表現の多様さ、原始的な感情に触れる、本来の面白さを一人でも多くの人に伝えたいという願い。
疲弊する閉塞感を打破したいという願い。
現実世界で生きていく心の強さを持ち続けたい、という願い。

今一度、これらの願いを具現化したいという願い。

そのために今、我々が出来るベストな方法がエヴァンゲリオン再映画化でした。
10年以上昔のタイトルをなぜ今更、とも思います。
エヴァはもう古い、 とも感じます。
しかし、この12年間エヴァより新しいアニメはありませんでした。

閉じて停滞した現代には技術論ではなく、志を示すことが大切だと思います。
本来アニメーションを支えるファン層であるべき中高生のアニメ離れが加速していく中、彼らに向けた作品が必要だと感じます。
現状のアニメーションの役に少しでも立ちたいと考え、再びこのタイトル作品に触れることを決心しました。

映像制作者として、改めて気分を一新した現代版のエヴァンゲリオン世界を構築する。
このために古巣ガイナックスではなく自身で製作会社と制作スタジオを立ち上げ、初心からの再出発としました。
幸いにも旧作からのスタッフ、新たに参入してくれるスタッフと素晴らしい面々が集結しつつあります。
旧作以上の作品を作っている実感がわいてきます。

「エヴァ」はくり返しの物語です。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
わずかでも前に進もうとする、意思の話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。
同じ物語からまた違うカタチへ変化していく4つの作品を、楽しんでいただければ幸いです。

最後に、我々の仕事はサービス業でもあります。
当然ながら、エヴァンゲリオンを知らない人たちが触れやすいよう、劇場用映画として面白さを凝縮し、世界観を再構築し、誰もが楽しめるエンターテイメント映像を目指します。

2007年初秋を、御期待下さい。

原作/総監督 庵野秀明
2006 09/28 晴れの日に、鎌倉にて

引用:ヱヴァンゲリヲン新劇場版所信表明
 

そして、コミック1巻の最後にあるテレビ版エヴァ制作での所信表明文も読むと、なお一層理解が深まると思います。


 

「生きていくことは変化していくことだ」
私はこの物語が終局を迎えた時、世界も、彼らも変わっていて欲しい、という願いを込めて、この作品を始めました。
それが、私の正直な『気分』だったからです。

引用:新世紀エヴァンゲリオン1巻巻末
 

特に私は「生きていくことは変化していくことだ」の一言を痛烈に感じています。
まさにシンエヴァはそれを表現していると感じます。
 

結局マリとはなんだったのか

安野モヨコさんのことだと思います。

昔からエヴァはシンジを始め、各登場人物など庵野監督自身の人格が大きく表現されていると言われていました。
エヴァは超ヒット作品になったわけですが、だからこそ我々視聴者はもちろん、監督自身にとっても長年エヴァの呪縛で囚われていたのではないかと思います。

ですが、監督は安野モヨコさんと結婚されたことで変わったんでしょうね。

結婚されてから新劇場版シリーズを作り始めますし、マリは破から突然登場し「それまでのエヴァを破壊」していきます。
エヴァのヒロインといえばレイとアスカなのに、何故ポッと出のマリが最後の最後でシンジとくっつくのでしょうか。

そのシーンではシンジは自らの贖罪(落とし前)のためかDSSチョーカーをつけていますが、マリが外してあげます。
それは最後にシンジ(庵野監督)を許し、救い、共に生きるのは、過去のヒロイン(過去の女性)ではなく、新しく突然現れたマリ(安野モヨコさん)だったのではないか、と感じました。

Q制作時、監督はメンタルを病んでいたことや、スタジオカラーでもモヨコさんの影響が大きく見られます(そりゃ奥さんで取締役だしなぁw)。
それだけ庵野監督にとって安野モヨコさんの存在は大きいんでしょうね。

作中も絵本でヤマアラシのジレンマ(?)が登場しましたね。
丁度アヤナミレイが読み始めるのがなんとも…ですが。

旧エヴァはまさに監督が若かったからこその尖った魅力がありました。
反面、新劇場版ではそうしたトゲが無くなり、丸くなって優しさを感じるのはそうした影響からだと感じます。
特に破ですね。
Qが尖っていたのは、監督が病んでいためや、シンエヴァのために意図的に仕掛けたものなんでしょうね。
 

ちなみにシンエヴァ作中では「縁」や「落とし前をつける」というワードがよく使われた気がします。
結婚や新しい会社を設立しての縁だったり、監督自身のこれまでのエヴァの落とし前(エヴァというコンテンツの呪縛だったり、旧劇場版などの終わり方など色々)をつけることを言っているんだと感じます。
作中ではQでのニアサーからの絶望から復帰、世界への落とし前をつけていくのはまさにシンジ=監督自身のことでもあると感じました。
 

そういえばコミック版設定ではマリはユイのことが好きでした。
そのマリはその息子のシンジから良い匂いがすると近づいてきます。
自分が好きだったユイの子供だからなんでしょうね。
 

監督不行届、めちゃめちゃ面白いですね。笑いましたしw
安野モヨコさんの影響をどれくらい受けてるかも分かります。
シンエヴァをもっと理解したい人にはオススメです。

 

村の描写はなんだったのか

作中ではセカンド、ニアサーなどからの復興、シンジの成長が、現実での東日本大震災からの復興だったり、監督自身が精神的にまいったときの立ち直りや、監督が会社を立ち上げ、周りからの協力や縁もあって作られたことの表現でしょう。

作中では「縁」という言葉がよく使われていると書きました。

監督が精神的にまいっていたとき、モヨコさんの存在が大きいと書きましたが、周りの縁もあったんでしょう。
それはスタジオカラー10周年の際のおおきなカブ(株)を見ると、この村生活での畑作業もより分かる気がします。

所信表明の「原始的な感情」もひょっとしたらこの村生活のこともあるかもしれないですね。

繰り返しますが、旧劇場版ユイの言葉の「あら、生きて行こうと思えばどこだって天国になるわよ。だって生きているんですもの。幸せになるチャンスはどこにでもあるわ」という言葉がありました。

人も世界も生きています。
新しい命(チルドレン)が誕生したり、世界、村も少しずつ復興したりしています。
ヒトは自然に生かされていますし、命に感謝ですね。

こういった生きること、成長、愛、親子や家族、友人、人間関係、出会いと別れ、生と死といった普遍的なテーマも感じられ、ただのオタク向けのロボットアニメではなく、万人が楽しめるエンターテイメント作品として感じました。

まさに所信表明文通りでしたね。

その受け止め方は人それぞれでしょうけど、私はそう感じましたし、作品として最高でした。
 

エヴァの呪縛:14年

新劇場版:序→公開されたのは2007年。
シンエヴァ公開→2021年。

リアルで14年とは…!(たまたまでしょうけど、エヴァはやっぱり”もってる”のか)
 

エヴァの呪縛は、作中と現実の年での積み重ねのシンクロが良かったですね。
シンエヴァでの意外なキャラのカップリングや生と死などは、世界は進んだり、変化、世代交代などを表現していると思いました。
 

テレビ版からリアルタイムで追いかけてきた世代も25年経ち、むしろ終わらないのがエヴァとして認識していましたが、ついに呪縛からの解放、卒業するときが来ました。

Qでいきなり14年の歳月が流れた仕掛けも納得です。
だって、現実の我々も同じ時を生きて成長しているんですから。

エヴァの呪縛で年を取らない子供のままのシンジとは、いつまでもエヴァ(自分にとって居心地の良い世界)を卒業できない人々の象徴です。
無情にもQ・シンエヴァの世界では、現実同様に周りは14年で変化したり成長していました。
そんな世界で、シンジも同じく大人として成長していくお話だったわけですね。

この辺りのテーマは旧劇場版と同じです。
しかし前回は厳しく突き放すような表現に見えますが、今回は優しく感じますね。
“繰り返し戻ってきて良いから前に進んでね”と言ってるようにも感じました。

まさに所信表明の
「エヴァ」はくり返しの物語です。
主人公が何度も同じ目に遭いながら、ひたすら立ち上がっていく話です。
わずかでも前に進もうとする、意思の話です。
曖昧な孤独に耐え他者に触れるのが怖くても一緒にいたいと思う、覚悟の話です。

に通じるように感じました。

なので、卒業といっても、所信表明文の「現実世界で生きていく心の強さを持ち続けたい」という意味で、生きるための原動力になれば良いんだと思います。
たまに思い出したり見返したりして生きるための原動力とする。
それがエンターテイメント作品ですから。

 

子を守る母は強し。
作中2回そうした表現がありましたが、そういえば「エヴァ愛No.1選手権!~わたしとエヴァンゲリオン〜」という企画がありました。

テレビで最優秀賞の女性の方の受賞作品を見ました。
要約すると、「旧エヴァと出会い、一緒に時は流れ、夫と出会い結婚、今は子供もいて、エヴァと共に成長してきた。子が出来たことで、エヴァを見る視点も変わった」というような内容です。

エヴァ放送時に熱狂していた少年少女も25年経ち、今では大人になり、家庭を持ったりしています。
なるほど、まさにシンエヴァの内容そのものじゃないですかw
最優秀賞は納得です。

…しっかし自分もこの企画に送れば良かったなぁ。
送ろうと思いつつも、つい忘れてしまった…。
あとシンエヴァ見たら、自分も今まで以上に結婚して家庭を持ちたくなりましたw
 

エヴァQとはなんだったのか

「エヴァの呪縛」でもうお分かりかもしれないですが、「これまでの皆が知っているエヴァの世界」や破の世界で夢のような幸せだった世界を意図的に叩き壊したことです。
それはまさに現実の厳しさや辛さ、人が犯してしまった罪、震災などの表現した世界です。
作品としてはそこで皆Qでシンジにシンクロさせ、シンエヴァでそのシンジ=観客を立ち直らせて成長させていくことだったんでしょう。
 

そういえば私の予想で、シンエヴァはまた世界が戻って破のラスト~Qなどをやり直すのではないかと思いましたが、それもなかったですね。
本編でも「時に不可逆性はない」と冬月が言ってた気がしますが、結局そういった視聴者の都合の良い、近年のアニメでは流行っているタイムリープなどの巻き戻りはなかったわけです。
シンエヴァは「3.0+1.0」となっていて、3.0話(Q)の副題は「YOU CAN (NOT) REDO.」
「あなたはやり直せる(やり直せない)」
なるほど、現実世界同様、前を見て進むしかないことを表していましたね。

主題歌

Beautiful World、桜流し、One Last Kiss、歌詞を改めて読むと、あぁゲンドウのことだったのか。
同時に「エヴァオタクのための歌」とも聞こえますよね。

 

ちなみに残酷な天使のテーゼも聴いてみると、またすごく面白いという。
完全に見え方が変わりましたね。
是非聴いてみてください。
 

音楽

良かったですね。
もちろんサントラ買います。

今回ボリュームあり過ぎて、どういう曲があったかなと処理しきれてないので、また映画観に行きたいですし、サントラを聴いて場面も想像したいと思います。
林原めぐみさんのVOYAGER〜日付のない墓標も楽しみ。

 

3.0+1.0、:||の意味

1.0などの数字は単に話数のことでしたね。

シンエヴァは3.0+1.0ですが、シンプルにQの話(3.0)が続き、シンジが大人になった新しいエヴァ(始まり)の+1.0でした。

ちなみにS-DATがゲンドウの手に戻るとき数字が29から1になっていた気がします。
29=テレビ版26話+序破Q3つ分で辻褄合いますね。
そして1に戻るのは、ここから新しい物語が始まる意味だと思います。
 

:||について。

「:||」最初に戻って繰り返す音楽記号です。

まさにテレビ版最初から見たくなる仕掛けがありましたが、新劇場版シリーズは「エヴァンゲリオン:序」などと「:序」と「:」マークがついています。
それもあって、新劇場版シリーズからの視聴者はシンエヴァを見て「なんじゃこりゃ」と言って解明したくて、テレビ版を見始める(最初に戻る)仕掛けなんでしょうね。
ちなみにそれはテレビ版から追いかけてきた我々が通った「エヴァらしさ・エヴァの魅力」でもあります。

「||」これで終わりの終止記号です。

新劇場版シリーズの「:」はなく、「||」単体、つまりテレビ版から全てのエヴァを見てきて、監督のメッセージを理解しエヴァが終わる、卒業なわけです。

なんという巧妙なギミックw

公式や色んな記事などで、ちゃんと「:序」「:破」「:Q」と書いてあるのを改めて見て、この2021年シンエヴァのために、2007年序の公開(実質は制作を考えるとそれより前)から仕込んできた思うと本当に頭が下がりますし、感服いたします…!
お疲れ様でした。

(いや、テレビ版エヴァの制作話など改めて読み直すと、制作途中で思い付いたんだろうなと思いましたw)
 

ビジネスとして上手いのが、物語を終わらせつつも、ただそのままコンテンツとしても終わらせなかったことです。
そりゃこれだけの超ヒット作品だからビジネスとしては終わらせたくない側面もあります。
でも物語は終わらせないといけない。
そういった意味で、シンエヴァを見た後、旧ファンや新劇場版から見始めたは人もテレビ版などを見たくなる作りになっていることです。
まさに所信表明のエヴァは繰り返しの物語ですし、不朽の名作になったとも思いました。
 

「シンエヴァ」のシンの意味

作中で「ネオンジェネシス」と言うので新世紀エヴァンゲリオンシリーズが一つに繋がっていることを言うわけですが。
もちろん他にも色々意味はあるんでしょうねぇ…と考えてみました。
ほぼこじつけや思い付きですw

新:「新世紀エヴァンゲリオンシリーズ」として、今回一連の「新」劇場版シリーズ、旧劇場版のとの対
進:繰り返しながらも前に進むこと
真:これまでのエヴァを見ることで全て補完され、真のエヴァとなる
神:ラストではシンジはもはや神になったわけだし、最後の駅のシーン(現実)にとってそれまでのエヴァの世界は神話(過去の話)となった。
まさに残酷な天使のテーゼの「少年よ、神話になれ」。
それは作中内だったり、我々視聴者側にとっても、です。

とは言え、残酷な天使のテーゼの作詞秘話を読むと面白いですがw
まあ、シンエヴァ見て、受け止め方が変わっただけの話ですねw

ちなみに「シンジ」の名前は樋口真嗣さんから取られたことは有名ですが、後付けの言葉遊びですが、神を司る=神司=シンジにもできますねw
「ゲンドウ」とはシンジが成長するためのそうなるための「原動」力となったわけですかねw

あと、旧劇場版は「まごころを、きみに」のサブタイトルでしたが、今作も同様に監督の真心を感じますが、真心という漢字、両方音読みがシンですねw

更に余談ですが、「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air/まごころを、君に」の上映時間は2時間34分。
今回シン・エヴァンゲリオン:||は2時間35分。
旧劇場版のと新劇場版(シンエヴァ)のほぼ同じ!
作中似たり対比となるようなシーンもあり、相関・補完関係がありますね。
そしてシンエヴァが1分長いのは、旧と新で相関・補完関係にありつつも、シンが1分未来に進んでいるという意味だったりw
(この制作時間についてはただの偶然でしょうw でもひょっとしたら、尺が近くなったので折角だからそれっぽくしましょうとかw
まあ、これらはただの結果からの妄想、こじつけですw)
 

さようなら、エヴァンゲリオン

実はこれを書いている今も、25年間大好きだった作品からの卒業、解脱、まだ実感ができていませんw

虚無感、喪失感、満足感など色々と複雑な思いがありますが、監督からのメッセージを受け止め、前に進んでいきたいと思います。

でも今はもうちょっとエヴァの世界にいさせてくださいw
映画は3回目も観に行きたいですし、テレビ版からまた見直したい気分ですw

また、シンエヴァを観るとまたテレビ版や旧劇場版、新劇場版の見方が変わりそうで楽しみなんですw

これからエヴァを卒業するわけですが、時々エヴァの世界に戻ったり離れたりを繰り返しながら、僅かでも前に進んでいきたいですね。

 

あのテレビ版エヴァ最後の言葉

父に、ありがとう
母に、さようなら
そして、全ての子供達(チルドレン)に
おめでとう

今なら納得できる方も多いのではないでしょうか。
 

月並みですが、庵野監督、スタッフの皆さん、声優の皆さん、関係者の方々、お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。

最高のエンターテイメント映像作品でした。
 

庵野監督、これからもどうかお元気で、そしてまた面白い作品を作ってください!
次はシン・マン(略称不明)が楽しみです。
ナウシカ2…いや、いっそ、最初から作り直したシン・ナウシカとかどうなんでしょうww
 

ツイッターではエヴァのことなどつぶやいたりもしているので、エヴァ好きの方、良かったらフォローお願いします。

 
———————————-

…それにしても今回記事を書いてたら、考え方が整理されたり、これはこうだったのかと気付きも多かったです。
 

当ブログではこれまでのエヴァについての感想や自分なりの考察記事などあるので良かった見てください。
例えばシンエヴァ公開前の予告考察記事を今見てみると面白いですw

【シンエヴァ】予告を時系列に並べて予想や考察。3.0でQをやり直す、さようなら全てのエヴァンゲリオンの意味


 

2021/4月、新しい記事を書きました。良かったらどうぞ。

シンエヴァ・エヴァをもっと知るため、楽しむための11つのモノ【物語の考察は意味がない!?】