「ゴジラVSスペースゴジラ」感想。外的要因による視聴者置いてきぼりの作品
シン・ゴジラを見てからのゴジラシリーズ感想。
「ゴジラVSスペースゴジラ」。1994年12月公開。
個人的評価:30点
前記事「VSメカゴジラ」からの続きです。
平成シリーズはリアルタイムで見ていて、その後も何回か見ていました。
前作VSメカゴジラは改めて見直したら以前より面白く感じました。
さて、今作はリアルタイムで見たとき「なんだか面白くない」と感じました。
そして今、シン・ゴジラを見て、改めてゴジラシリーズを見直し、改めてVSスペースゴジラも見直してみたら印象が変わるのではないかと思いました。
…しかし残念ながら、その感想は変わりませんでした。
予告
自分なりに考え、調べたり、ゴジラ好きの人に意見を聞いた中で、面白くない理由を一言で言うなら、「外的要因による突貫工事」といった感じでしょうか…。
どういうことかと言いますと、まず、映画自体が面白くない理由に、脚本、編集が良くないと思いました。
脚本、編集が良くない理由
→これまでのゴジラシリーズの経験があるスタッフをアサインできなかったから、です。
その辺りを調べてみるとwikipediaに書かれています。
本来は前作の『ゴジラvsメカゴジラ』でシリーズが一旦終了するはずであったが、エメリッヒ版ゴジラの制作が遅れていたために急遽制作された作品である。前作の主要スタッフは当時『ヤマトタケル』の撮影に入っており、監督の山下賢章や脚本の柏原寛司など平成VSシリーズの経験がなかったスタッフが参加している。
引用:wikipedia
つまり、ハリウッド版ゴジラの延期や東宝の諸事情によって、経験あるスタッフが参加できなかった、ということです。
でも、作品全てがつまらないとは言えなく、アイディアやテーマ、部分的なシーンで良いところがあったり、制作サイドのやりたいことは分かるんですよね。
でもそれらが上手く表現、編集、まとまりきれていないと思います。
スタッフ、特に監督、脚本、編集の経験不足もあるかもしれないし、制作期間による練り込み不足、東宝上層部からの制約命令など、諸々の理由があったと思われます。
しかしながら、結果としてはなんだかよく分からないまとまりがない作品ができてしまったという印象です。
いわば、素材は良いのに、料理する人が台無しにしてしまったというところでしょうか。
脚本もちゃんと練り込み、編集も良くしてれば面白い作品になったかもしれません。
さて、では具体的に不満部分を画像と共に挙げていってみます。
1. 脚本やシーンも制作側のご都合主義で観客置いてきぼり
・視聴者は登場人物に感情移入できない
・前作までの設定や流れを汲み取った上で、観客に対してどう観せるか表現できていない
・意味の無い無駄なカットやシーンが多い
・ストーリーや設定が陳腐で練りこまれていない
・昔のキャラや設定を使えば面白くなるという安易な発想
▲冒頭のT(テレパシー)プロジェクトの要請の場面。
権藤ら2人が三枝未希にT(テレパシー)プロジェクト要請を了承してほしいとこれまで何度か言っているのが汲み取れます。
しかし作中ではお互い何度かそのやり取りをしている流れなのに、改めてTプロジェクトは何かという説明がやたら不自然なのです。
「観客に対しての説明」というのが強く感じられ、作中の流れや登場人物の関係として違和感があるのです。
また、三枝未希はVSメカゴジラで、ゴジラへの意識が変わりました。
しかし、今作でいきなり三枝未希がゴジラが大好きに変わっている流れが私には理解できず、感情的に追い付かないのです。
VSメカゴジラ以降の三枝未希のゴジラへの意識が分かる補足シーンがあると良かったと思います。
▲バース島に向かう主人公ら。
この浮かれている佐藤のキャラもよく分かりません。
楽観的なキャラなんでしょうけど、作中を通して一貫性がないというか、よく分からないのです。
なお、wikiからの設定としては、この佐藤がGフォースの訓練か何かに遅刻をしてしまって、この2人が左遷のようにバース島に派遣されるようになってしまったとのこと。
そう聞けば主人公がナーバスなのも分かりますが、作中では何もそういった描写もありません。
▲突然目の前に現れたフェアリーモスラとコスモス。
▲突然Tプロジェクト参加の了承をする三枝未希。
→コスモスがいきなり三枝未希の前に現れて「宇宙怪獣が現れて地球を破壊しようとしています!」
しかもたったそれだけの説明で消えてしまう。
→そしてすぐに三枝未希はTプロジェクト参加を了承。
いやいや、流れが雑すぎるでしょうw
▲主人公と三枝未希が初めて出会う場面。
「会ったら聞こうと思ってたんだ。どうすればそこまでゴジラが好きになれるのかさ。」
「話しても分からないと思うわ。なんでも戦いで解決しようとする人たちの。」
前述のように、三枝未希がそこまでゴジラを好きになっている理由に共感できていない状態なんです。
なので、それに対する「戦いで解決する」というのも理解できないのです…。
▲柄本明さんのシャワーシーン。
誰得な意味のないシーン。
こんなところで尺を使うなら、人物の掘り下げに使ってほしかったですね…。
▲ゴジラ出現時。
「ゴジラが動き出した。俺たちにもツキがまわってきた。ゴジラの相手は誰がする? 俺たちしかいないだろ。」
「そういう考え方しかできないからゴジラを好きになれないのよ!」
視聴者には分からない登場人物の細かな設定があるんでしょうけど、やはりそれぞれのキャラに感情移入できない、どのようなキャラなのかその言動に追い付かないのです。
前作メカゴジラからの流れを観てもです。
キャラの性格の描写が雑で大雑把、といった理由から視聴者は置いてきぼりに感じました。
▲三枝未希が一人でバース島に残ると言った際、主人公が残ることにします。
これまでの流れから、主人公が島に残る理由も三枝未希への好意もピュアなものではなく、単によこしまな印象が強く感じられてしまうのです。
キャラの行動理念が分からないんですよね。
▲スペースゴジラ出現時、頼りにしてる結城が不在のためイラ立つ麻生。
そもそも冒頭からなのですが、柄本明さん演じる結城がそこまでゴジラに固執する理由や、麻生から信頼されていて、そしてモゲラにも乗れる有能なパイロットというのが感情移入、理解できないんですよね。
また、結城と麻生の関係性へも感情的な理解ができないのです。
▲VSビオランテの人気キャラ、権藤一佐の妹という設定。
後で権藤一佐の妹役である吉川十和子さんが、結城にとっては仇であると話してくれますが、ただ設定を説明するだけで、やはり人物描写が甘く、視聴者心理としてしっくり来ないのです。
こういった場合、回想シーンとかあると良いのかもしれませんね。
▲スペースゴジラの誕生理由。
「宇宙へ飛散したビオランテの細胞か、宇宙へ飛び立ったモスラに付着していたゴジラの肉片かは定かではないが、いずれかに含まれていたG細胞がブラックホールに飲み込まれて結晶生物と恒星の爆発エネルギーを吸収、ホワイトホールから放出された結果、異常進化して誕生した」
…なるほど、さっぱりわからん。
えーと、まず最初のツッコミとして、VSキングギドラのストーリーでは、ゴジラザウルスをベーリング海に移動させたということで、ゴジラ1984とVSビオランテのゴジラはいなかったことになっているのですが…。
まあ、それは置いておいたとしても、急に過去作のG細胞設定を引っ張り出してきますか…。
というか、宇宙、G細胞、ブラックホールやホワイトホールといったトンデモ設定を突然持ち出されても、作中のこれまでの世界観描写から納得できる根拠がなかったり、理解ができません。
設定もその作品内でのリアリティが全く感じられません。
そしてそれら過去作の設定を引っ張るのに今作ではその設定を活かしたストーリーの必然性は感じらません。
もちろん過去作の設定を持ち出すことが悪いとは全然言いません。
しかしその設定が練り込まれておらず、ストーリー、各登場人物の動機や感情も流れも不自然で、制作サイドの都合というのが垣間見えてしまうのです。
▲夕日をバックに三枝未希と主人公が語り合う名場面。
「ゴジラのこと以外考えたことないのか? 例えば好きな男のこととか。悲しすぎるだろ、人生が。」
「戦うことばかり考えてる人生のほうが悲しいと思うわ。大切なのは相手を理解すること。心を通わせることでしょ?」
いきなり「好きな男のこととか」というのがただのチャラいナンパにしか見えないのも残念。
さらに「悲しすぎるだろ、人生が」って、あなたの勝手な人生観押し付けるんじゃないとw
これまでのシリーズの視聴者は三枝未希のゴジラとの向き合い方を見て、感情移入している人が多いと思います。
そこで今回彼女がどんな思いで夕日でたたずんでいたのか…。
そんな中、好きな男の話題で振ってるのが軽く感じられました。
もちろん制作のやりたいことは分かるんです。
ゴジラだけの人生とは、と問わせたいことなんだと。
でも、そこに至るまでの心理導線が上手くできていないので、しっくり来ないんですよね。
折角夕焼けのシーンはキレイなのでもったいないと感じちゃいました。
▲三枝未希をさらった組織の秘密基地に潜入。
入口にバリアを張っているから侵入できないといって、あっさり入口目の前のマンホールから中に潜入できるのも…。警備ザルすぎでしょうw
▲「破壊。それがゴジラの生存価値だろう?」
もう、この組織の存在理由や、脚本がよく分からなくなってきました。
▲三枝未希がテレキネシスでベッドを浮かせるシーン。
足元がお留守になるので、主人公が敵の足に発砲します。
この誘拐のシーンは、主人公と三枝未希の恋愛の吊り橋効果や、テレキネシスが後に繋がる伏線のためだけに存在するシーンとしか見えません。
テレキネシス発動はいきなり伏線もなく唐突すぎで、VSビオランテから見ているとこういった物理系能力は非現実感に拍車をかけてしまって見えるんですよね…。
▲三枝未希救出からすぐにモゲラに乗るように言われる三人。
結城がどれだけ有能なのかもわかりませんし、これまでバース島にいたのでブランクもあるでしょう。
他二人も左遷扱いだったのに、対ゴジラ、対スペースゴジラでいきなりモゲラ搭乗というのも理解できません…。
▲モゲラのドリルアタック。
「プラズマレーザーキャノン用意。ファイヤ!」
(…特にスペースゴジラに特別効いているように見えないけど?)
「よし! ドリルアタック!」
何が「よし!」なんだよw
特に前作VSメカゴジラの対ゴジラ戦略を見てからだと、なんだこりゃと思います。
▲ゴジラやスペースゴジラが日本各地を襲う図。
これらシーンにかなりの尺を取っていますが、意味を感じられないですよね…。
▲ゴジラが赤い熱線を吐くシーン。
ゴジラが意識的に覚醒して赤い熱線を吐けるようになるのですが、何故その必要性があるのか、そういった描写がないんですよね…。ただ見せたいだけ??
▲テレキネシスで挟まった結城の足の扉を開く図。
このためだけに誘拐のシーンがあったのかと思わせられます…。
▲「宇宙が汚され続けていくなら、いつ第二のスペースゴジラが現れるかも分からない」
そう、人間の邪悪な心が存在する限り、やがて第二、第三の魔王が現れるだろう。
さすがにちょっとこれは稚拙すぎなのでは…。
というか、美人な吉川十和子さんに変な衣装させて、作中全般、変なセリフ言わせないでほしい…w
▲「ゴジラー、俺との勝負はついてねーぞー!」
そういうキャラなんでしょうけど寒いです…。
佐藤とゴジラは軽薄な関係性に見えるのにその台詞はちょっとイラッときました。
作中の雰囲気や空気に対して浮いてるんですよね。
▲「ねぇ…目を閉じてみて?」
え、キスシーン?
▲テレパシーでチビゴジの映像が二人で共有されます。
この流れやアイディアは良いのですが、なんかもうちょっと良い演出というか、見せ方あるんじゃないかなぁと思ったり…。
▲最後二人で手を繋ぐ図。
なんかよく分からないうちに結ばれちゃいましたね><
俺たちの三枝未希がなんでこんな男に…!と憤慨する男子が多数いるかと思いますw
なお、wikiを見ると…
未希の恋の行方については次回作でも触れられていないが、これについて演じた小高恵美や、相手役の功二を演じた橋爪淳は後年のインタビューでそれぞれ「『デストロイア』での芽留の台詞への反応から、恐らく淡い恋で終わってしまったのだろう」、「やはり新城はゴジラにかなわないので別れたのだと思う」と語っている
とのことですw
2. 音楽が合っていない
音楽は服部隆之さんです。
良い音楽作られる方で、当時は「お金がない!」や「王様のレストラン」を見ていました。最近ですと「真田丸」ですね。
そう、特にテレビドラマや人間ドラマでは素晴らしい音楽をされる方だと思います!
…ただ、残念ながらゴジラの音楽には合ってないんですよね…><
軽く感じるんです。
他、細かいツッコミなど
●モゲラは対ゴジラ兵器なのに、なんで宇宙に行けるんでしょうか
●過去作を通じ、モゲラとスペースゴジラの強さの立ち位置が分からない、表現されていない
●テーマは「愛」「コミュニケーション」「理解」なんでしょうかね。でも描ききれてないかなぁ
●ゴジラ、スペースゴジラ出現時、どこに軸があり、視聴者は感情移入していいかよくわからない
●スペースゴジラについている結晶体である意味
(裏設定はあるんでしょうけど、作品内で何故そうなのかという説明がないんですよね)
などなど他にもありますがこんなところにしておきます…。
総評
文句ばかりになってしまいましたが、部分的に良いところもあり、もったいなくも思います。
外的要因により、こうなってしまったんだろうなぁ…と残念に思います。
良いところを挙げると、
・ショートカットになった三枝未希が可愛い
・薄着で色んな服装の三枝未希が見られる
・バース島の夕日がキレイ
・往年の特撮ファン歓喜、モゲラが見られる
でしょうか。
個人的には残念な評価ですが、次作平成シリーズ最後のVSデストロイアのため、三枝未希の心境を理解するために見てみると良い…のかもしれません。
※2019年3月追記
個人的な感想で好みもあると思うのでそこはご了承ください。
中にはスペースゴジラがカッコイイと言われる人も多いですが、私としては主に「映画」としてどうかという観点で見ています。
次記事、「ゴジラVSデストロイア」感想。
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